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巻頭言

 

特集号に寄せて*

 

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第6回舶用機関国際シンポジウム 実行委員長

岡實**

 

ISME TOKY02000が無事に終了した。僅か4日の会期ながら私としては実に5年半に及ぶ長いドラマのフィナーレを迎えることができて正に感無量である。

日本海事協会(以下NKと呼ぶ)がISME2000の幹事団体となることが決まったのは、第5回ISME YOKOHAMA'95が始まる1ヶ月前、1995年6月のことである。決まるといってもオリンピックのように候補地が沢山あって投票で決まるというようなものではなく、何ヶ所かあらかじめあって順送りの当番制のようなものである。具体的には、運輸省船舶技術研究所、神戸商船大、東京商船大、NKの4団体(何故他の企業や大学が入っていないかは不明)があって順番からいくと次回はNKであった。

当時、NK会長阿部三雄氏(現NK名誉会長)のもとに舶用機関学会会長石井泰之助氏(当時三井造船社長)及び、ISME組織委員長福垣敦男氏(東海大学教授)が訪れ、NKに次期幹事団体を要請された。これを阿部会長が快諾されたことがことの始まりである。その内容はただちに当時私の直接の上司であったNK副会長白石圭一氏(故人)より、機関部長をしていた私のところにもたらされた。「2000年のISMEはNKで幹事をやることに決まった。お前頼むぞ」である。これにはいささか困惑した。1年先というならまだしも5年先のことである。返事に窮したことを思い出す。年を数えてみると5年経っても定年前ではある。その時になってみないとどこにいるかはわからないが、出来ることだけはすすめておいてあとは申し送り事項にするしかないと肚を決めた次第である。

ISME'95の終了と同時に幹事団体としての活動が始まった。1995年秋のことである。5年先と言えども2000年という節目の年、今から手を打っておかないと手頃な会場はすぐに埋まってしまうとの学会事務局内山氏の助言もあり、会場の確保が第一の仕事となった。

従来通りのISMEの規模を想定すると、展示会、開会式、パネルディスカッション、普通セッション、これらをすべて行えるスペースがなければならない。又、海外、国内からも交通のアクセスがよいこと、幹事のNKにとっても活動し易いことが条件となると、候補会場はそう多くはなかった。費用に糸目をつけなければ有楽町の国際会議場が最適と思われたが、とても舶用機関学会が手を出せる相手ではなかった。結局、すべての条件をほぼ満足する幕張メッセのコンベンションセンターに決まった。住所は千葉県であるが、東京圏内ということでISME TOKYOでいこうということも内々に関係者で決めた。1998年迄はISME幕張は、既定路線で1stアナウンスメントの刷り込みまで済ませて進んでいたが、1999年になって情勢は変った。折からの経済不況のあおりを受けて、幕張メッセは平日でも夕方過ぎはゴーストタウンになってしまうという新聞記事がのった。折角こちらに来て頂く方にこれでは具合悪いのではないかという意見が関係者からあがった。これは半分冗談であるが、要はこうした大規模な会議場の使用頻度はそうタイトではなくなってきているということである。

再度見直しを検討したところ、運よくNKの至近距離に2000年完成予定の日本都市センター会館が見つかったという次第である。その後の経緯は、諸兄のご存知の通りである。

私自身のその後であるが、幸か不幸か千葉市の技術研究所を経で'99年再び本部に戻り今日に至っている。

 

*原稿受付 平成12年12月15日

**正会員 (財)日本海事協会 常務理事

(千代田区紀尾井町4-7)

 

 

 

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