自宅開放だから介護をしながら団体も守れた
この六年を振り返って川上さんは、「忙しくも、充実した日々だった」と話す。
「こういう団体は、誰からもどうしなさいという命令を受けるわけじゃないので、企画・立案・実行すべてやれてしまうし、やればやっただけの結果が生まれますから、手応えを感じます」
もちろん、利用者のことや、事故の心配などで眠れない夜もあるというが、うれしいことのほうがずっと多いとも。娘さんが結婚資金として貯めていたお金を、家の建て替えの費用に使ってほしいと、差し出してくれたこともそのひとつ。「あの時だけは、本当に泣けました」という川上さんだが、まさに子は親の背中を見て育つ、である。
「自宅開放なんていうと、奇人変人扱いされることも多いんですが、自宅開放だから義母を看ながら、この団体も守ってこられたと思うんです。私が出張のときなどは会員さんが義母を看てくれましたし、義母もここへ来ては水墨画を習ったりして楽しい時を過ごしながら、九五歳の天寿を全うできた。そして、福祉は人だというけれど、家族の応援があって、いい仲間が得られたこと、それが何よりの幸せ。だって、盆も正月もなく、それこそ紅白歌合戦がやっている時ですら、サービスに入ってくださるような仲間がいっぱいいるんですよ。だからそんなに肩ひじ張ってやっているわけじゃないし、自分が困ったから、みなさんも困るんじゃないか、ただそれだけなんです」