“ドリーム”にはハイツの名前だけでなく、“温かい人の輪を広げる”という夢を大きく膨らませたいという意味も含めたんですよ」と、発起人の一人でもある島津さんは当時を振り返る。
設立に当たって、この活動が特定の地域(ドリームハイツ)だけのものではなく、広く開かれた地域活動として推進していくために、近隣の地域にも広く告知。長年におけるさまざまな活動で、住民同士のコミュニケーションがある程度取れていたこともあってか、説明会を開くと集会所にたくさんの人が足を運んでくれ、スタート時には、すでに利用会員と協力会員合わせて、一五〇名以上に達したという。