でも昼間は暑く特に喉が渇くので、1回で食べるのも飲むのもというやり方か、1日何回かに少しずつ分けるかは、どうも少しずつのほうがみんなに合っていたようなので、朝晩は50ccずつです。50ccというのはコップに4分の1で、本当に飲むという感じではなく、なくなってしまうのです。昼間は暑いから喉が渇くだろうということで100cc、トータルでだいたい1日200ccの飲み量でやってきたのです。
空腹感は1日かそこらすると、随分お腹が空いたなと思うのですが、個人によっても違うから私だけかもしれませんが、数日するとそんなにお腹が空いたという感じはなくなってしまいます。だからあまり空腹感で辛いとは思わなかったです。
ただ、喉の渇きというのは確かにそれ以上に厳しいものです。たとえば1日何回か分配するにしても、周りでほしい人がたくさん見ているところで、監視つきで何人かにやらせていたのです。その人たちが厳しい分配方法でやるので、食糧といってもいくらもないが、そういう状態になると、人間というのは小さな破片でもやはり大きいのから先に取っていくという意識になってきます。
私はそういう状態になると人間がパニックになって、狂ってくるという話もよく聞いていますから、統制がきかなくなってどうにもできなくなることを恐れていました。しかし幸いなことに非常にそういう点で穏やかというか、冷静な人たちでよく協力してくれて、食糧の分配でもいっさい文句を言うこともなかった。一つも文句などを聞いたことがありませんでした。あれがあと20日、ひと月となれば、どのように変わってくるのかと心配していたわけですが、そういうことが起りませんでした。
体力の衰えもどのぐらいかは人によっても違うかもしれませんが、ひどい漂流記を読むと3日ぐらいからおかしくなってしまうということも書いてあります。前に読んだ『実験漂流記』では、フランスのドクターが実験で大西洋を小さな筏で渡って、魚釣りをやって魚の身を食べて、魚のジュースを絞って、それを水代わりに飲むということで、50何日かかって大西洋を渡ったとありました。体重は半分になったけれど生きていた。人間そんなに簡単に死ぬものではないということを、海で漂流するときは頭に入れておけと書いてありました。
私はそれが頭の隅にあったので、一月何も食べなくても人間は生きていられると言っていました。「水は重要だから何とか獲得しなければいけないけど、食い物は心配するな」となるべくみんなに言っていたので、それが頭にあったせいかみんな食糧に関して、それで命が危ないと感じなかったのかどうかです。不満もが表に出なかったことは本当に幸いだったと思っています。