何もない、時計一つない。時計一つでもあればだいたい経度を知ることができますが、何もない状態ではまったくどうしようもないというのが現実です。昔のポリネシアの航海術というのは星を見て航海できたというのですが、そういうものでも勉強しておけば何かの足しになったとは思いますが、不幸にして私もそういう知識が全然ないものですから、現代の知っている航海術ではとても位置を出すことができないのです。
ただ幸いだったのは10日のうち5日はほとんど南風で、あとの5日は西風だということで、どうみてもマレー半島の西のほうにいただろうと考えられるので、流されるのは北に流れて、それから今度は東に流れるということは、いずれにしてもマレー半島に近づいているんだろうという希望は持っていました。もしそれが反対の風だと、どんどん離れるばかりですが風向きは非常によかった。
南方ですから寒さの心配はない。むしろ暑さのほうで、だいたい夜はどれぐらいかわかりませんが、南方の海だとせいぜい25度ぐらいまでしか下がらないと思います。昼間は屋根がないと大変ですが、ライフラフトでは屋根がつくようになっていますので、直射日光を受けることなく陰のところにいられます。気温はおそらく32、33度ぐらいまでは上がるように感じましたが、その程度だったら直射日光に当たらなければそれほど苦しくない。そういう利点はありまして、そのへんで助かったと思っています。
これがうんと寒い地帯になると、今度は逆に寒さでやられてしまうという危険はありますが、体が乾きませんから水はあまりなくても生きられるという利点はあります。それぞれ一長一短だと思います。私の場合は、そういうことで漂流をしていました。
船のスピードコントロールは、筏ですから流れていくばかりです。このごろはいわゆるシーアンカーと言いますが、普通シーアンカーというとシケのとき、昔の小型船などが何か抵抗物を船の前に流して、そのロープで船をなるべく波のほうに立てて、横波になってひっくり返るのを防ぐために使ったのをシーアンカーというんです。それ以外に流れるスピードを遅くするということができるのです。
われわれの筏についているシーアンカーは、小さいパラシュート、実際に人間が乗るようなパラシュートとはまったく違う、おもちゃのパラシュートみたいに小さいものですが、そういうのが二つついています。これを水の中に入れて広げると抵抗になります。ただし海流には全然影響がないのですが、風で流れるスピードを遅くするという効果はあるのです。
ですから船のまったく見えない海域は少しでも早く、いいポジションに行ったほうがいいということで、シーアンカーを上げてなるべくスピードを上げて流して、もし船が多いような海域を見つけたら、そこでシーアンカーを入れて、なるべくチャンスの多い地域に長くとどまろうと、そういうことぐらいしか現実にはできなかったのです。誰がやっても同じことだろうと思います。行きたい方向に行くなどということは、とてもできない道具ですからそういうことになってしまいました。