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私の部屋のほうではわからなかったのですが、反対のほうにいた連中は夜中にエンジンをスローにしたときに、いわゆる船外機の音がして、しばらくしてまた動き出した。ということはどこかの基地に近づいて、お米を船外機で小さいボートが運んできて積み込んだのではないかという想像です。どうも基地の周りを回っていて、たまに足りないものがあったらそこに来て、補給していたのではないかと思われました。

結局ちょうど六日経って、29日の0時ぐらいにエンジンが急に止まりました。気が付かなかったのですが、もうひとつの部屋のほうは1人ひとり連れ出していたようです。われわれの部屋にも来て1人ひとり連れ出し始めました。私は何が始まるのかちょっと不安で、これから殺しかなと思っていました。

私はどういうわけか一番最後にされて、デッキに出て行ったところで急に目隠しを取られました。右舷の下に、ゴムのライフラフトがロープでつながれて浮かんでいました。もちろん船は止まっていた状態です。そこへ縄ばしごで乗組員が降ろされている状態が見えたのです。

そのとき初めて、これは筏に乗せて放りっぱなすのだなと悟ったのです。私の前にはもう2人ぐらいしか残っていなくて、あとの乗組員はすでに乗り込んでいました。私は最後に、「此処の概略の位置は」と頭のような者に聞いたのですが、いっさい返事はなく、降りてゴムボートに乗りました。と同時にロープは切られて、その船は離れて行ってしまいました。

離れていくときちょうど船尾が私の脇を通っていくわけで、船名ぐらいは読めないかと思って一生懸命見たのですが、まったく何も書いていないし、真っ暗な夜のせいもあって、何も証拠らしいものはつかめませんでした。

漂流が始まり、それから約10日半くらいの漂流でした。そのとき、仏心か何か、約1日分くらいの食糧を海賊が筏に積み込んでくれたのです。洗面器にご飯を山盛りにして、その上にゆで卵とか干した魚とかを乗せて、水500ccのペットボトルを五、六本ぐらい一緒に入れて積んでくれました。これはどうせ長持ちはしないものだと思ったので、食べられる人は食べろと言いました。

プロの船員でもやはり船によって揺れが違うので、大型船の揺れに慣れていても小型の船、筏にかなり揺られた場合、船酔いが始まる者がかなりいるのです。この場合も私の見ていたところで5名でした。5名はひどく戻したり、ひどく苦しみました。その他の乗組員にも吐くまではいかなくても、気持ちが悪かったようで、「食べろ」と言ってもほとんど食べる人はいないのです。明日の朝になったらみんな腐って、食べられなくなるから食べておけと言ったのですが、ほとんど減らない。私は少々食べましたが、あとは何人かが少し食べたぐらいで、殆ど海へ棄てました。

 

 

 

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