漂流記というのは江戸時代に300編ぐらいありますが、漂流した本人が書いたものではなく、それぞれ役人が聞き取ったり、そのころの学者が海外の事情を知るために聞き取って書いているものですから、その聞き取る人の力量によって、漂流記も面白くなったり、嘘八百になったりするわけです。
しかし、孫太郎の漂流記はいま読んでみても「なるほどな。いろいろ詳しく調べてよく書いてあるな」という気がします。たとえば、さっき言いましたマギンダナオというところに連れていかれます。その状況も、孫太郎が着いた10年あとぐらいに、イギリスの東インド会社の社員が訪れていろいろ書いていますが、そのイギリスの記録と漂流記は非常によく似ているというか、どちらも正しいという感じがします。照らし合わせてみると、漂流記も嘘八百ばかりではないということがよくわかります。
孫太郎が漂流し、7年間奴隷としてあちこちに売られていますが、その売られた先にもそのころから中国人が行っています。ですから、中国人の大きな商店に売られたりしているのですが、奴隷といっても、いわゆるアメリカの黒人奴隷のようなイメージではなく、一生懸命働けば地位も上がり、いろいろな仕事も任されます。給料のない丁稚奉公だけど、かなり重要な仕事まで任せられるという状態だったようです。
その後18世紀、19世紀になると、ヨーロッパの船も彼らは襲っています。そして、白人を捕まえて、奴隷にしているわけですが、どういうわけか白人はよくエンタティナーとしてバイオリンを弾かされたりといったかたちで出てきています。
こういった背景が現代まで続くというのはどういうことかというと、フィリピン南部のスール諸島でいまアブサヤフ、イスラム過激派と言われていますが、その連中が誘拐事件を起こしています。今年の春、サバのほうにあるシパダンというリゾート地から二十数人誘拐してきて、ホロに連れて行った。これは明らかに身代金目的で、おそらく日本円で数千万円の金を手にしただろうと言われています。そういった、人をつかまえて売る、あるいは誘拐事件といったものも、いわゆる伝統ある、歴史的なものです。
いま私が言いましたことは、東南アジアで海賊が多発しているけれども、その根っこには港市国家、アジアの港で交易を中心に、あるいは海賊をしながら栄えていたそれぞれの国があった。いまマンダラ国家という言われ方もしていますが、曼陀羅図のようにあちこちにそれぞれの王様がいて、それぞれ海で働くことで生活の糧を得ていた。そういう根っこがあるということです。それがずっと現代につながっているわけではありませんが、根っことしてそういったものがあるのではないか。