少し西のほう、ミンダナオからボルネオにかけてスールー諸島というのがあります。そこにアルファベットでJOLO島とありますが、これはスペイン語読みでホロと言います。
ミンダナオ島かホロ島にかけて、海賊国家、港市国家があちこちにあって、それが皆海賊に従事していました。
特にマギンダナオ族などというのは、季節風のいいときにフィリピンを一周回って、海賊行為を働いて帰ってくるという毎年決まったように海賊周航をやっていました。もっとのちになると、イラヌン族というのも出てきます。もとは湖に住んでいたのですが、18世紀、19世紀ごろになると、シンガポールあたりまでどんどん海賊に出ていくわけです。
ヨーロッパが来る前からそういったことも当然行われていたのですが、ヨーロッパが来てから、特にそういった連中に対して海賊という決めつけ方をした。たとえばフィリピンにはスペインが来るのですが、スペインが来てからは、スールー諸島のホロ島にあったスールー王国、ここは交易によって栄えた国ですが、当然海賊もやったということで、スペインからは海賊国家とも呼ばれるようになりました。
海賊国家というのは、スペインから見ればそうですし、やっていることも事実そうなのですが、スールー王国にすれば、侵略者であるスペインに対する抵抗であったわけです。ですから、港市国家の海賊というのはいろいろな面を持っていて、王様にとってみればそういった行為自体が正しい生業であった。それに対して、ヨーロッパ人たちは海賊国家であると呼んでいたわけです。
たとえば、少し時代は下がりますが、シンガポールを創ったラッフルズという人がいます。ラッフルズはイギリス人ですが、シンガポールにやってきて、そこのスルタンやダトゥに会い「お前たちはどうして海賊をするのか。海賊をしないで、インドから運んできた産物を渡すから、もう少しちゃんとした職業に就けばいいではないか」と言いました。それに対して、地元のスルタンは「そんな恥ずかしいことはできない。商売はわれわれのすることではない。われわれのやってきた伝統的な仕事は海賊である」と言っています。それに対してラッフルズは顔を真っ赤にし、返す言葉がなかったと言いますが、このように海賊行為そのものが伝統的なものであるということを認識しておいていただきたいと思います。
もう一つ、現代につながる問題というか、いまスールー諸島で起きていることにつながるのですが、東南アジアの海賊の最大の獲物は人間でした。