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マラッカに来たのは1511年で、そのポルトガル人はアルブケルケという提督でしたが、アルブケルケはインドでゴアを拠点としてアラブなどを攻め落としていました。そして、ポルトガル人に言わせればアラブの海賊ですが、イスラム教徒の商人たちを打ち負かして、1511年にマラッカにやってきました。

そのときマラッカは東南アジアの一大交易拠点でした。それは非常にインターナショナルなもので、中国人やアラブ人、インド人といった人たちがいっばいいたわけです。それとマライと呼ばれる人たちがいて、中国、インド、アラブ以外はすべてマライというものにくくられていました。それは交易を中心とする海洋国家でした。ここに港市国家ということが書いてありますが、港を中心として交易を行っていた一つの都市があった。それはいまの国という言い方には当てはまらないわけですが、国家のようなものを形成していたと言われています。

マラッカはその港市国家の一つの非常に大きな拠点だったのですが、それが破壊され、アジアの交易拠点はあちこちに散らばっていきます。たとえばいまはもう廃港になっていますが、ジャカルタの近くのバンテンやパレンバン、あるいはジャカルタからずっと東に行ったグレシック、いまのマカッサルであるウジュン・パンダンといったように、あちこちに交易拠点が散らばっていくわけです。

そこにはそれぞれ王様というようなものがいて、港市国家と言われる、一つの交易国家のようなものを確立していたわけですが、その国々はちょっとくせ者でした。いわゆる交易というのは、ラジャだとかダトゥ、スルタンとその場所、場所でいろいろな呼ばれ方をされる権力者がいて、それが港に入ってくる船から関税のようなものを取ったり、あるいは専売権、ある産物が入ってきたらそれを権力者がもらって、権力者が独占的に売ることができるのを専売権と言いますが、そういうふうにしていろいろ利益を得ていました。

その権力者自体も、貿易船、交易船といったものを仕立てて交易にあたったのですが、そのときに海賊も非常にたくさんやっていたわけです。ですから、そのころは海賊行為そのものが交易の一つの形態であったと言えます。

今日お話するのは、主にフィリピンのスールー海というところのお話です。地図をご覧になっていただくと、フィリピンがあります。フィリピンの一番上がルソン島で、真ん中当たりがビサヤと言われていますが、セブ島やレイテ島などいろいろあります。その一番下のほうにミンダナオ島とありますが、そこにマギンダナオ族というのがいます。マギンダナオ族からミンダナオになったわけです。

 

 

 

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