“アロンドラ・レインボー号”がいなくなったのが10月22日、この船が最終的に見つかったのはインドのゴアの西方430kmの沖合で、インドのコーストガードによって停船させられ捕捉されています。この“アロンドラ・レインボー号”には2人の日本人とフィリピン人クルーが乗っていましたが、金曜日にクアラタンジュンでアルミを積んで出ました。夜になったので、日本が動くのはどちらにしても翌週の月曜日だろうということで出航のレポートもすぐには送らずに準備をしてあったそうですが、その金曜日の夜に船は海賊に襲われました。
乗組員は全員身柄を拘束されて別の船に移されています。別の船に乗せられて数日間の拘束のあと、救命筏に乗せられて漂流しています。その間に“アロンドラ・レインボー号”はどこに行ったかというと、マレーシアのサラワク州のミリという港に移って“グローバル・ベンチャー”という名前になりそこで積み荷を動かしています。最終的に“アロンドラ・レインボー号”が見つかったのは11月14日で“メガ・ラマ”という名前に変わっていました。インド政府は国連海洋法条約に基づいて、この船を軍事力をもちまして停船させています。見つかったときにはインドネシア人クルーが乗っていました。この中で特に注目されるのは、“テンユウ号”事件で“テンユウ号”に最終的に乗っていたインドネシア人は証拠不十分で本国に送還されましたが、確実に“テンユウ号”事件に関わっていたと思われるそのうちの1人が、“アロンドラ・レインボー号”の最終的な乗組員になっていたことです。また1995年に起こった“アンナ・シエラ号”事件という海賊事件で、証拠不十分で釈放されたインドネシア人が、やはり“アロンドラ・レインボー号”の最終的なクルーになっていました。
これらの事件から、確実に操船専門の海賊グループがあるということがはっきりとわかりました。現在この犯行グループはインドのムンバイで裁判にかけられるために拘束されています。この間の状況を先ほどと同じビデオの中で当時の“アロンドラ・レインボー号”の池野船長がお話ししていますので、ご紹介させていただきたいと思います。
(ビデオ)
池野船長たちが最後に救出されたのはプーケットのこのへんです。救ってくださった漁船の船長はプーケットの漁民でチェロエンポーンという方です。この海域では漁船が海賊に襲われることが過去からも頻繁にあったらしく、どうも怪しい、助けようかどうしようかと遠巻きに見ていたら、中に日本人がいたので海賊ではないだろうと思い助けたということです。