続いて海賊被害の中で特に注目されるものをご紹介したいと思います。具体的な例ですが、皆さんもご存知でしょうか、1998年9月に“テンユウ号”事件という海賊事件が起こりました。これはハイジャック型ですが、この事件がおそらく日本の船がシージャック事件に巻き込まれた第1号だと思われます。私ども日本財団に98年9月に1隻の船がいなくなっているのだけれど情報はありませんかという連絡が来て、そこから私どもは海賊に関する調査を始めたわけですが、この“テンユウ号”事件を簡単にご紹介させていただきたいと思います。
“テンユウ号”は、西日本の瀬戸内海側の相生の町の船主さんがお持ちの船で、実際には海外で荷を動かしているパナマ船籍の便宜置籍船だったのですが、インドネシアのクアラタンジュンという港を、3000トンほどのアルミニウムのインゴットを積んで韓国の仁川に向けて出航しました。そしてその後、姿を消してしまったのです。最後に報告を受けたのはマラッカ海峡の入り口のところだったのですが、それ以後船は全くいなくなってしまった。
その段階ではシージャックに遭ったとは皆さんあまり考えませんでした。急な嵐にでも遭ったのか、事故で火災を起こして沈没してしまったのではないかなどと考えていました。でもマラッカ海峡で海難事故が起これば誰かがが気付くはずだ、どうもおかしいのではないか。そしていろいろ調べていき、どうもこれは海賊に違いないということが言われ出して、IMBでもいろいろ調べて海賊の可能性が強いということになりました。そしてさらにいろいろな情報を調べていきましたが、なかなか見つかりませんでした。
2ヵ月が経った12月21日に、中国の揚子江をさかのぼった南京の近くのチャンジャガンに怪しい船が着岸したという報告が入りました。その段階では各国の沿岸警備機関や公安当局に対して“テンユウ号”の設計図を配って指名手配をしていたのですが、どうも“テンユウ号”ではないかということで船を捜査したところ、エンジンの製造番号から“テンユウ号”であることが確認されました。
見つかった段階ではホンジュラス船籍の“サンエイ1”という名前の船になっておりました。当初“テンユウ号”の乗組員は、2人の韓国人、船長、機関長と、12人の中国人だったのですが、見つかったときには14人のインドネシア人に替わっていました。最終的にこの乗組員を取り調べたところ、船はいろいろなところで名前を変えていたことがわかりました。