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これはイエズス会の日本年報という本にみられる記事です。

能島は現在無人島で、石垣の一部が潮の流れで崩れていますが、城の跡はよく残っています。この記事を見ると、能島には多数の船がつながれていたとあります。倭寇の王直は長崎の五島列島に本拠をおいたといいます。陸の支配者の手がのびないからです。

能島もおなじように陸の支配者の手がのびにくく、また活動の拠点として便利だったにちがいありません。

 

6. 倭寇の再評価

王直の活躍した時代は日本の年号でいいますと、天文・弘治・永禄・元亀・天正という時期です。秀吉が生まれ信長が本能寺で殺された間になります。この時代国内はまさに戦乱の時代でした。こういう時期に、一握りはともかく、村上氏一族の船団がまるごと中国大陸の沿海地に出かけたとは思えない。それぞれの村上氏は傭兵となったり、大名の海軍に編制されて海上活動に従事していた、これが歴史の事実とみるべきでしょう。

はじめに鉄砲の伝来のことをお話しました。この説の根拠が『鉄砲記』という本にあることも申し上げました。この本は慶長11年という年に書かれました。鉄砲が伝わって半世紀後のことです。ふつう歴史史料は同時代が史料としていちばんいいわけでして、それからするとよいとはいえません。鉄砲伝来に関する唯一の史料ということで多用されているのが正直なところです。

なぜこの本が書かれたのか、つまり動機は何かということですが、種子島時尭の孫が自分のおじいさんは、日本で一番はじめに鉄砲を移入して偉かったと誉めたたえたところにあります。これはどういうことかといえば、この本が書かれた慶長11年という時期は鉄砲の最盛期であったからで、世人は鉄砲の起源に関心をはらっていたからです。

鉄砲が最盛期になっている。種子島家では薩摩の禅宗のお坊さんの南浦文之に頼んで、鉄砲伝来の顛末を書かせたのです。はじめに申しあげましたが、この本のなかに大明の儒生五峯という人物が登場します。中国の文献によると、これが王直となっています。王直の船は漂流して種子島に来ました。もともとシャムから中国の広東に行く途中ともいわれています。たまたま漂着したわけです。

 

 

 

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