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やや混乱がありますが、香西成資は要するに瀬戸内海の海賊の能島氏が八幡船を操って中国大陸沿岸を襲った倭寇の主体は日本人の海賊だと主張しているのです。こうした倭寇の見方は、戦前・戦中の日本人の常識になっていますが、これが国策によることはさきに述べたとおりです。

八幡と書いてバハンと読ませています。八幡大菩薩は武人の神様であるから、この旗をなびかせたのですが、ほんらいバハンの字は破販で、商売がうまくいかないことをいいます。バハンの読み方が八幡に似ているために牽強付会したにちがいありません。むかしはバハン船というと海賊船の代名詞に使われたようです。近代国家が形成されていくとき、とくに日清・日露の戦い以後、日本の海外雄飛が謳歌されます。くどいようですが、香西成資の文章もその後、国策に利用されることになります。

 

2. 貿易と倭寇の活動

江戸幕府が1636年(寛永13)に海外渡航禁止令を出しましたが、これが世にいう鎖国です。ただし幕府は中国・オランダ以外との通交や貿易を禁止したので、いわば制限貿易ということになります。これは17世紀のはじめのことです。東アジアには古くから中国を中心とした朝貢貿易という制度がありました。朝貢というのは、外国人が来て貢物を奉ることをいいます。経済的に困窮していた室町将軍は明の皇帝に貢物を奉って、明の皇帝から莫大な品物を授けられました。幕府は明との朝貢貿易を盛んにおこない、当時の実力者もまた貿易に参加して大いに利益をあげました。大いに利益があがるわけですが、朝貢するということは、言いかえれば服属することを意味しました。室町将軍は明に服属したといって当時の有識者から非難されますが、朝貢した諸国はみな明皇帝に服属したことになる。これを勘合貿易といっていますが、これは許可をうけたものだけが参加できる制限貿易にほかなりません。

明は国初以来、朝貢貿易を認めて民間の貿易をすべて禁止しました。また人民が海外に出航することも厳しく禁止しました。ここで配布した資料の地図を御覧下さい。淅江省、福建省、広東省あたりは、古くから海上生活者や貿易に従事している人々が多かった。朝貢貿易はこうした人々のそれまでの生き方を否定するものですが、生きるためには国の法である海禁政策をやぶらざるをえなくなる。すなわち、密貿易に走ることになるわけです。

海禁が厳しくなればなるほど、さらにこうした状況は加速する。この時期、朝鮮・中国沿岸部には海盗・奸商・倭寇・海寇とよばれる海賊船団が横行し、沿岸に上陸して米や住民を奪うことが頻発した。これはみな明の海禁の結果にほかなりません。ということは倭寇と貿易は裏と表の関係にあるわけです。

 

 

 

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