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(3) 「アジアを震撼させた倭寇と日本の海賊」

国立歴史民俗博物館 教授 宇田川武久氏

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司会:本日の講師・宇田川武久先生は、とくに戦国から織田・豊臣時代の海賊研究がご専門で、これまで水軍や海賊に関する書物を何冊か出版されています。現在は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の教授として海賊研究のかたわら、最近では武器の歴史の研究にも分野を広げて活躍されています。

前回まではヨーロッパの海賊をとりあげましたが、今回は極東の海賊、倭寇についてお話していただくことになりました。それでは宇田川先生、よろしくお願いします。

宇田川:きょうは8月20日です。いまから約457年前、やはり夏の暑い日に西南の種子島に鉄砲が伝わりました。これが歴史の教科書で有名な、いわゆる鉄砲伝来です。教科書の多くは漂着した船をポルトガル船と書き、乗組員をポルトガル人と書いています。鉄砲はポルトガル人によって伝えられたというわけです。ところが、鉄砲や倭寇の歴史を調べると、この説はほんとうだろうかと疑問が生じます。

ここで話題にする海賊や倭寇は教科書に載らないわけではありませんが、海賊としては藤原純友くらいではないでしょうか。律令制の解体期、瀬戸内海の海賊の乱は歴史的にも意味があります。海があれば海賊が存在することはあたりまえです。しかし、陸とおなじように護摩の蝿ていどでしたら、ただ盗みを常習するだけで日常茶飯のことですから、歴史的な意味は大きくありません。

さきに鉄砲伝来の説に疑問を投げかけました。今では、こうした言い方はしない、いわば古語になったと思いますが、立派な物、良い物のことを、はくい、といいました。はくは舶来の船のことですが、外国からきた物は良いという意味です。どうも日本にはこうした考え方が、たとえば唐物志向の例からわかるように古くからあったようです。

江戸から明治に時代が変わると、明治政府は西欧列強に遅れまいと、外国の優れた文物や諸制度を移入して近代化を急いだことは、すでによくごぞんじのことでしょう。こうした風潮が長く続くと、発展途上の国や日本の物よりも外国の文物の方が優れていると考えがちです。要するに日本の文化は低く、逆に西欧の文化は高いということになるわけです。

 

 

 

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