バイキングというのは非常に活動範囲が広くて、アイスランドからグリーンランド、北アメリカまでを覆ったと同時に、ジブラルタル海峡を越えて地中海に入ってくる。そしてシチリアとか南イタリーとかバルカン半島の一部とかにも入って行った。ロベール・ギスカルという有名なバイキングがいますが、これなどは十字軍の始まる少し前に地中海に入っていって、そこにバイキングの王国を作ってシチリアに君臨する。そういうわけで、バイキングは非常に広範囲にわたって活動した海賊ともいえますが、同時に一種の政治集団で行く先々で、たとえばノルマンディ公国を作るとかシチリア王国を作るとか、重要なことをした連中です。
ですからカリブ海のバッツカニア後の、つまりプライヴァティアが不可能になってから生まれたような海賊とは性質、規模が違います。もっと大きな民族的な集団として行動した連中と考えていいのではないでしょうか。
それから料理のことはよくわからないんです。ああいうビュッフェ式の食べ方は、バイキングに起源があるのではなくて、北欧料理か何かの形式なのではないでか。その点は、全然わかりませんからお答えできません。
司会:ほかにどなたか質問のある方はいらっしゃいますか。
質問:実際の大航海時代の船の操縦についてお尋ねしたいのですが、羅針盤程度で3か月も航海できたんでしょうか。それともいまだったら人工衛星ですぐに位置がわかりますが、アストロラーべみたいな物を使ってやったんでしようか。
増田:一言で言うと、16世紀の航海というのはまことに原始的なやり方でやったわけです。コロンブスの航海とかバスコ・ダ・ガマの航海は大変原始的なやり方でやりました。中世まではだいたい航海というとだいたい沿岸航海です。主に地中海の中、沿岸航海です。アメリカはまだ知られていませんから、だいたい沿岸航海だったんです。そうすると岬から岬にする角度を海図の上に記録していれば航海できました。
ところがコロンブスから大洋航海をやるようになりました。コロンブスの航海は大航海と言いますが、あまり大航海ではないんです。彼はパロスという南スペインの港から最初はカナリア諸島に行くんです。ここで十分に補給し、休んでそれから西に行きます。そしてバハマ諸島に着きます。スペインを出たのが1492年の8月3日で、バハマ諸島サン・サルバドル島についたのが12月12日なんですが、実際にはカナリア諸島からの航海日数は37日に過ぎない。そんなに長くない。だいたい予想していた日数なんです。
そのときどういう航海をやったかというと、まず彼の観念にあったのは当時の世界地図で、それによるとカナリア諸島と日本、ジパングは同じ緯度にあるという考え方です。それから地球を実際よりは5分の1ほど小さく考えていましたから、カナリア諸島からジパングまではだいたい30日前後の航海で行けると考えていた。そうすると簡単なのです。