そういう時代になってから略奪稼業を続けたかった連中が、いわゆる海賊らしい海賊になったのです。海賊らしいと言うのも変ですが、(笑)よくハリウッド映画などに出てくる海賊はこれです。スチーブンスの『宝島』の中に出てくるシルバー船長とか海賊とかは、みんなその種の海賊です。
一つ自己宣伝をさせていただきます。私は中南米、特に南アメリカの専門家ですが、そこから派生的に海賊のこともときどきやっていますが、いま校正をしている最中の本で、海賊の百科事典みたいなものがあります。『海賊大全』という本です。これが大変いい本で、いろいろな研究者がきちんとした注をつけ、参考書も挙げて、非常に正確に海賊のことを考証した本で、海賊に関するありとあらゆる問題がそこで扱われています。
海賊と言っても、古代の海賊、バルバリーの海賊、大西洋の海賊、バッカニア、太平洋の海賊、東南アジアの海賊、そして最近問題になっているマラッカ海峡やフィリピンの現代の海賊とありますが、海賊に関するありとあらゆることが書いてあります。海賊について好奇心のある方は絶対この本をお勧めします。
海賊について一つだけコメントしたいことがあります。海賊というは非常に残忍な悪いことをする連中という一種のイメージがあります。それから特にプライヴァティアができなくなってからの海賊は、残虐なこともしたし、捕まるとひどい刑罰を受けたわけです。
『海賊大全』を見ると、最初のところに、バーソロミュー・ロバーツという有名な海賊のことが出ています。この人が西アフリカでイギリスの海軍と戦って負けます。彼自身は戦死してしまいますが、そのとき捕まった海賊のうち52人が絞首刑になりました。そして20人がアフリカの鉱山で7年間重労働の判決を受けました。
同じ年、つまり1722年、ジャマイカではエスパニョラ沖で捕まった57人の海賊が裁判にかけられて、その結果41人がポートロイヤル港の脇にあるギャローズ岬で絞首刑になりました。10月には5人のスペイン人海賊がバハマ諸島のナッソーで縛り首になりました。翌年26人の海賊が王室海軍のキャプテン・ソルガードに捕らわれて、ロード・アイランドのニューポートで絞首刑になり、またアンティグア島では5人の海賊が絞首刑となって、遺骨はセント・ジョン港のラット島で鎖に吊るされた。1720年代に処刑された海賊の数は例外的に多かった。これも先ほど説明したとおり当然です。
このように捕まったら極刑という、逃れられない運命にもかかわらず、海賊になる人間は絶えなかった。それはなぜか。それのことについては私の翻訳した『海賊大全』に1章を割いて書いてあります。海賊は非常に凶悪な悪いこともしたけど、一面においてはフランス革命の理念を先取りした連中であるということが書いてあります。当時は非常に階級制度が厳しい世の中ですから、船の世界も、たとえば商船でも海軍の船でも、艦長、士官、航海長、平水夫と身分の差が非常に激しかったのです。