現在ドミニカ共和国という国がありますが、この西3分の1はハイチという国です。カリブ海に昔はハイチとドミニカ共和国の区別がなくて、全部スペイン領でエスパニョラ島と呼んでいました。そのエスパニョラ島は最初コロンブスが発見した島で、最初のうちはかなり人口があったのですが、だんだん大陸部で銀山が発見されたりその他いろいろなことがあって、人口が過疎になって、この国の北西部は無人地帯だったのです。
そこにいつともなく、イギリスやフランスの航海者たち、難破したとか、帰れなくなったとか、船がなくなったという連中が集まって来た。その当時スペインから持ってきて野生化した牛が、このへんにいっばい住んでいたんです。それを殺してその肉を網焼きにして、ブキャンで焼いて、それをそこを通る船に食糧として売りつける。そういうことをやっていた連中で、最初は別に海賊でも何でもなかったのです。
ところがブキャンの活動がだんだん大きくなってくると、いろいろな商売を始めたりして、これは危険だとスペイン政府が、エスパニョラ島の首都サント・ドミンゴから討伐隊を送って追い出そうとする。追い出された連中はここのドミニカ共和国のすぐ近くに、海亀という意味ですが、トルトゥーガ島という島がありますがそこに逃げました。そしていろいろ圧迫してくるスペインの官権に対して武器を持って戦うようになった。それがバッカニアの起こりです。そこでカリブ海のスペインの勢力に対して、あえて銃を取って戦う海賊たちがバッカニアと呼ばれるようになったのです。
バッカニアはやはりいろいろな国籍の人がいて、トルトゥーガ島はいろいろな国籍の人の海賊の巣になりました。ときどきスペインが艦隊を送って掃討するんだけど、何度やってもしばらくすると元に帰って来てしまう。スペインは中南米にものすごく広い領土をかかえていました。北アメリカまで彼らの領土で、とても全部を治めきれない。それでカリブ海の島々はエスパニョラ島とプエル・トリコ島を除いては、ほとんどイギリスとフランスの海賊に取られてしまうのです。
一番痛手だったのは、かなり大きな島のジャマイカをイギリスに取られたことです。クロムウェルの艦隊が占領してしまいました。プエル・トリコ島から東の島を、小アンティル諸島と言いますが、ほとんどフランスとイギリスが領土にしてしまった。そういうところがやはりバッカニアの基地になる。そのバッカニアはどんどんスペイン領に攻め込んで行きました。