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そこで1545年に大銀山、銀の大鉱脈が発見されます。そのたまたま1年後の1546年に、メキシコの北のサカテカというところで、大銀山が発見されました。そこでメキシコとボリビア、当時のペルーは銀の大産地になって、何十トンという銀が生産されて本国に運ばれる。植民地の人間はその銀で植民地で生活するいろいろな資材、物資をヨーロッパ人から購入しました。

こうして年に1回、定期船団がセビリア、カディスから何十隻も大西洋を渡る。一つの船団はメキシコのベラクルスに向かう。もう一つの船団はカルタヘナで船を下ろしてから、パナマ地方に着く。そうするとペルーから来ていた商人たちがそこで市を開いて、銀でいろいろな物を買います。それで市が終わると、キューバのハバナに、メキシコの船団とパナマの船団が集まって集結し、そこからフロリダ海峡を通ってまたスペインへ帰って行くというシステムでした。

なぜそういうことをやったかというと、銀を積んだ宝船です。行きは行きで植民地商人に売りつけるいろいろ貴重なもの、布地、家具などを乗せている。帰りは売上金の銀を運ぶ。だから行きを襲っても帰りを襲っても宝船である。特に帰りを襲ったほうがいい。一攫千金です。大量の銀や金が手に入る。これがイギリスやフランスの海賊たちの標的になったのです。1隻だと当然やられて略奪されてしまう。だからどうしても船団を組んで、戦艦で護衛船団をつけなければいけない。しかし護衛船団をつけたから守りきれるものではない。護衛船を出し抜いて略奪する方法はいくらでも開発して、彼らは略奪をやってのけたのです。

この略奪をやったのがいわゆるプライヴァティアです。私掠船です。サン・ホァン・デ・ウルーア以後のジョン・ホーキンズ、フランシス・ドレイク、トーマス・キャベンディシュという有名な航海者がみんなプライヴァティアになって、女王や貴族から免許状をもらい、出資してもらって略奪行為をする。しかしイギリスから見てプライヴァティアでも、盗まれるほうのスペインから見ると明らかな海賊です。彼らはドレイクたちをピラータと呼んでいます。

このスペイン領に対するプライヴァティアで、一番活躍するのがフランシス・ドレイクです。この人は1572年から数年間に渡ってカリブ海を荒らし回ります。彼はなかなか頭が良くて、ねらったのはパナマ地峡です。なぜかと言うと、ここはペルーから大量の銀が運ばれてくる。パナマ地峡をロバで輸送して、太平洋岸のノンブレ・デ・ディオスに出る。

 

 

 

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