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1568年に第3回目の航海をやります。そのときはイギリスを出てアフリカで奴隷を仕入れ、大西洋を横断して、カリブ海で売る。ところがホーキンズの船隊はハリケーンに会いメキシコのベラクルスという港の沖のサン・ホアン・デ・ウルアという島の島陰に逃げ込んだ。もちろんスペイン側には、こういうわけだから停泊させてくれと届け出ている。スペイン側はいいですよと言ったのだけど、いままでにホーキンズは2回もスペインの領海を侵すけしからん行為をしたのだから、奇襲をかけてやっつけてしまえという陰謀をめぐらすのです。

ときたま、スペインから新しいメキシコ副王を乗せた大船団がやってくるホーキンズ船隊のそばに停泊する。ホーキンズの船は5隻いたんですが、船隊は敵船団に取り囲まれサン・ホアン・デ・ウルアの砲台からは狙われるという状態になりました。しかしジョン・ホーキンズは非常に無邪気な男で、何も危険を感じないで悠々として、修理が終わったら出港しようとしていました。ところがスペイン人が奇襲をかけてきて、ホーキンズの船体は大混乱に陥り、3隻が沈没しあとの2隻でやっと脱出するのです。

ホーキンズは沈んだ船の船員たちも全部収容して出港しましたから、少し行くと船は重くて進まないし食糧もない。やむをえないから「君たちの中で何十人か、降りてくれ」と頼んで、「わかりました。自分たちは犠牲になりましょう」と、何十人かがメキシコの海岸で降りて、それからあとスペイン人に捕まったりなど非常な苦労をします。そしてホーキンズはやっとの思いで国のプリマスに帰ります。

そのときいち早く逃げ出した男が、有名な大海賊フランシス・ドレイクです。ドレイクは一番先に逃げたという行為を非難されるのですが、とにかくよく生きて帰ってきました。

これが1568年の事件、サン・ホアン・デ・ウルア事件です。これはいわば太平洋戦争の真珠湾と同じような意味をもちます。つまりリメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)のように、リメンバー・サン・ホアン・デ・ウルア(サン・ホアン・デ・ウルアを忘れるな)というのがそれ以後イギリス人の合言葉になります。

それ以後、それまで、ぼつぼつ始まっていた私掠船の活動が一挙に盛んになります。しかしまだ交戦状態には至っていない。スペインに対してエリザベス女王は宣戦布告はまだしなかった。でも相手はいまや準敵国であり、女王は船乗りたちを抑えることができなくて、私掠船がどんどん出て行ってスペイン人の船を略奪します。

ここで一つご説明しておきます。スペインとアメリカ大陸の間には定期船団が通っていました。南米にボリビアという国がありますが、そこにポトシというところがあります。

 

 

 

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