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どこか日本に敵対的な国に攻撃をかけて略奪する。それに対してたとえば日本の森総理が個人として免許状を渡す。そして船が帰って来ると配当が行われ、出資者も配当金をもらうわけです。まさかこんなことは今では考えられませんが、16世紀にはヨーロッパの国々で盛んに行われたのです。

この私掠船という形態の海賊は、15世紀からあります。ハンザ同盟の船を襲う私掠船があったのです。ところが16世紀になって私掠船が非常に盛んになってきたのですが、特にたくさん出てきたのは、フランスとイギリスです。それには理由があります。一つはイギリスとスペインの関係を考えなければいけません。

スペインは当時はヨーロッパ一の大国です。強力な軍隊を持ち、広い領土を持つ。それに比べるとイギリスは、イングランドだけでスコットランドは別ですし、アイルランドも別だから、イングランドはちっぽけな国で、まだ国力の振るわない三等国だったのです。そこでイギリスのヘンリー7世という王様が、フランスと対抗するためにはスペインと結んでおいたほうがいいだろうと、1489年に条約を結ぶのです。

スペインにメディーナ・デル・カンポという町があります。そこでヘンリー7世の使いと、イサベル女王、フェルナンド王の使いが会って交渉した結果、友好条約を結ぶのです。イギリス・スペインどちらの国もフランスと戦う場合にはお互いを助ける。それから友好を深めるために両家の間に婚姻関係を結ぶ。具体的にはイサベル女王とフェルナンド王の娘の、アラゴンのカタリーナという王女を、ヘンリー7世の息子に嫁として送り込む。それから第3番目に両国ともお互いの領海内において自由に貿易をしてもいいことにする。

こういうのがメディーナ・デル・カンポ条約の内容です。

その後のことをあまり詳しく話すと、海賊の話から逸脱しますので、ごく簡単に述べさせていただきます。最初のうちイギリスとスペインは仲が良かったのです。カタリーナはヘンリー7世の子どものヘンリー8世の奥さんになるわけです。ところが非常に敬虔なカトリック信者で、ヘンリー8世にとってはおもしろくも何ともなかったらしいです。それでヘンリー8世は、アン・ボレンという女と浮気を始めて、カトリックで凝り固まった毎晩お祈りばかり捧げている正妻を顧みなくなって離婚したくなります。

当時は離婚するためにはローマ教皇の許可が必要なのですが、もちろんローマ教皇は許可してくれない。しかし、もうローマ法王なんてどうでもいい、破門されてもいいから結婚してしまえというので始まったのがイギリスの宗教改革です。それでイギリス国教会というのを作ってヘンリー8世が教会の長になった。内容においてはカトリックと非常に似ているんだけれども、形式においては完全にローマから分かれ、独立の教会を作りました。

 

 

 

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