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今度はローマです。ローマも海賊が多い。有名なジュリアス・シーザーが若いとき、キリキアという小アジアの、つまりいまのトルコに大きな海賊の巣があって、その海賊に捕まって6週間抑留された。身代金を払ってやっと釈放してもらったという話があります。ローマ人はよほどキリキアの海賊に悩まされたらしく、大討伐隊を組織して、海賊の巣を攻めつぶし、やっと安泰になったと言われます。

西洋人は、ローマはヨーロッパ文化の源、ギリシアとともにヨーロッパ文化の基礎を築いたといわれるのですが、物質的にはあまり豊かではなかった。古代オリエント、西アジアのほうがずっと物質的には豊かな地域であった。ローマという国はどんどん大きくなるけれども、食糧が追いつかない。それでエジプトは、何千年も昔からナイル川流域が大農耕地帯で小麦の大産地ですから、ローマ人はエジプトの小麦を輸入して食料を確保したのです。

これはギリシア人も同じことです。ギリシアも行ってご覧になればおわかりになるように、実に乾燥した不毛なところです。ギリシアもローマもエジプトの小麦があったからこそ、ああいう文化が創れた。そうするとギリシア人やローマ人にとって、エジプトに行く船を、海賊に襲われるということは死活問題です。食糧が干上がってしまう。そこでキリキアの海賊退治も必死になってやったのです。

それからいまの話で、ジュリアス・シーザーが6週間、海賊に抑留されたと言いましたが、このころ海賊はローマの船を捕まえると、金を持っていそうな資産家、貴族は殺さずに生かしておくのです。もっと身分の低い者は殺したり、あるいは奴隷にしたりしてしまう。金を持っていそうな人間は身代金が目当てで、たとえばシーザーなら、ローマに「お前のシーザーを捕まえたぞ」と言ってやるのです。そろすると金持ちなら家族が工面して身代金を送ってくる。そうすると釈放してやる。ですから海賊は捕虜にした者を必ずしも殺さない。身代金の習慣は古代から海賊につきものです。特に地中海の海賊はそうです。

次に、英語でコーセアという言葉があります。有名な詩人バイロンの詩に「コーセア」という作品があります。英語でコースという言葉がありますね。何々コースとか、上級コースとか。このコースという言葉と同じ語源の言葉です。元はクルスス(crusus)というラテン語からきたのです。それが中世のラテン語、フランス語を経由して英語に入ってコーセアになりました。これは主に地中海南部のバルバリー海岸に根拠地を持った海賊たちを言います。特に7世紀にイスラムがこのへんに入って来てから、イスラム教徒の海賊がコーセアです。

 

 

 

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