と言ったそうです。つまり、自分は勇敢であったがために、甘美な幸運をつかんだのだ、ということを彼は言って世を去った。
それを受け継いだのが、さらに勇敢な弟です。アルジェを攻められたときに守りぬくのは、弟のハイルッディン・バルバロッサです。兄貴は勇敢なものだけが幸運をつかむのだと言って、弟に託して世を去りますが、これはまた輪をかけてすごいやつで、西地中海のキリスト教徒の船と領地を全部蹴散らして、全部略奪して、イスタンブールに戻ります。
イスラムの王様が、これからキリスト教徒との対立が激しくなるので、艦隊を整備しなければならないということで、ハイルッディン・バルバロッサを海の艦隊の総督、アドミラルに引き上げ、呼び戻したのです。彼はイスタンブールヘー直線には帰らず、あらゆるところを略奪して帰ります。その略奪振りが大変すごかったということで、いまに名を残しているのです。大変勇敢な男だった。
キリスト教徒のほうから言えばあんなやつと言うかもしれませんが、回教徒のほうから言えば大変な英雄でした。これも一つの歴史の真実かもしれません。最後にはマルセイユまで講和のために行きます。しかしどうも居心地が悪い。行くときに途中イタリアのメッシーナあたりで、言うことを聞かない領主がいるので略奪する。その捕虜の中に18歳のかわいい領主の娘がいまして、70歳のハイルッディンはその娘をさらって、結婚をします。
新婚旅行を兼ねてマルセイユに行くのだけれど、マルセイユの領主は歓待しますが、周りがあまりいい顔をしない。昔捕まって、捕虜になっていたドラグートという勇猛な海賊を買い戻して帰ります。それから、幸せに一生を終えます。
これは「海域支配」から、国権支配と言うか、権力支配と言うか、海域の国家支配の時代に移ったことを意味します。
国際的な対立が起こったときに、海賊という超法規的な人たちが権力者から庇護を受ける典型的な例です。要するに、国家によって許された海賊行為であるプライヴァティア、私掠船のはしりです。国際的な対立がない場合、あまりその庇護をやると庇護を与えた領主も非難されますから、やりませんが、国際対立が起きたときは、海賊は往々にして庇護のもとで略奪を行います。戦闘行動に近い形の海賊行為が出てきます。
発展段階の中で、国家の主権が確立しはじめる近世に入ると、そういうかたちが出てまいります。ウルージとかハイルッディンが教皇の船を襲った1504年は、スペインにコロンブスが4回目の航海から帰ってきた年です。コロンブスは4回西インドに航海していますが、1回目でエスパニョラ島を発見し、何回も航海しているうちに西インド諸島にスペインの勢力が固定します。つまり、彼が地中海でデビューした年は、西インド諸島にスペインの勢力が固定化するはしりの年だったのです。中世から近世への変わり目というのでしようか。