「浜の真砂は尽きるとも…」という石川五右衛門のセリフと似ていますが、当時の領主は自分たちの領地を作るために平民の領地を平気で踏みにじったり、取り上げたり、税金を取り立てたり、悪辣なことは歴史的によく知られています。
そういうかたちで、中世というのは支配者の領地が確定する時代です。それを見事に喝破して、悪辣な手段で市民を苦しめるお前らが、なぜわれわれの首を切る権利があるのか。俺1人をやったところで、お前らの悪行が収まらない限り、海賊はなくならないだろうという名セリフを残します。そして、エルべ川のほとりで斬首されます。彼の残した財宝の遺物が、いまハンブルグの教会の屋根の上に輝いています。
それから、ハンブルグの歴史博物館の中にはシユトルテベッケルの頭蓋骨があるというのですが、これは、真偽のほどは明らかではありませんが、とにかく残されています。何冊かの伝記も書かれています。ドイツ語ですから私以外でも読めない人が多いらしくて、まだ日本では翻訳はされていませんが、大変人気のある海賊です。
3. 海軍力整備と海賊の変質―近世・近代の構図―
民族や統治の統合が進み、国家的な概念が生まれる近代に入ると、ヨーロッパの周辺では、東方にはペルシア、オスマントルコ帝国の勢力が強まってきます。これは宗教が違いますから、キリスト教世界の西方の国々とは大変に仲が悪い。その狭間に、やはり各地から、ローマとかバルセロナとかマルセイユとか、神聖ローマ帝国の大きな都市にたくさん物資が運ばれます。人も往来します。
地中海世界ではオスマン帝国は少し東方に引っ込んでいます。ところが、オスマンの中にも海の伝統があるものですから、やつらの船には財宝をたくさん積んでいるよ、襲撃していただこうではないかという人が現れてきます。
紀元前のローマ時代以来の伝統をもつ海上技術集団の中で、すごい力のあるやつが出てきます。その代表的な一人がバルバロッサ、「赤ひげ」という意味だそうですが、これが大変に勇猛果敢なのです。モラールが高い。まずやったことが1504年、16世紀に入ってちょうど中世から近世に変わろうというころです。貿易の規模も大きくなります。ローマ教皇の船が財宝を積んでジェノバから出て、シシリアに向かっていました。ローマの少し北方に、ローマの外港のチビタベッキアといういい港があります。私はこのあたりの海賊の地域を見て歩いたのですが、絶好の海賊の拠点があります。