この人はなかなか頭のいい人で、海賊の拠点をいちいち叩いていたのでは、とてもじゃないけれども蜂の巣の一つずつを攻撃するみたいで、効果がないと考えました。そこで、国の総力をあげて100隻の船団を整え、海賊情報を探っておいて、手分けをして一斉に襲いました。歴史家が言うには、おそらく一つひとつを片付けていたらとても手に負えなかったであろう。あるいは、ローマ軍がエーゲ海へ船団を持ってきて海賊掃討をやっているよ、という情報がいちばん精強な連中のいた小アジア南岸に伝わったら、その背後から攻められて、とても、勝てなかっただろうと言われています。
ところが急遽船を作って、手分けをして一斉に叩くことで、海賊が一掃されたと言われています。じつは、一掃されたのではなく、海賊はほとんどが、攻めていった人たちの手下に付いてしまうのです。殺された海賊1万人、手下についた者2万人といわれます。いずれにしてもそういうかたちで、拠点を攻撃して、海賊を手下につけてしまい、ローマ時代の海上輸送は一応の安定を得ることになります。
ここで問題になるのは、いまでもそれは通じることですが、海賊の成立の条件があります。
成立条件のためにはいくつかあるのですが、ここで一番現代的な問題で、先ほど申しましたように拠点が必要です。
さらに、より基本的には、海上での技術です。集団でその技術を持っていなければならない。船そのものも広い意味での技術ということに入ると思います。船を持って、その船を動かさなければならない。捕獲する相手よりもいい技術を持って動かさなければ、相手の物は奪えませんから。
もう一つが情報です。きちんとした情報を持っていないと、集団としての海賊行為はできないし、続けられないということです。
ローマでポンペイウスが成功したのは、海賊に情報を与えないで、自分の側で情報を握ったことによって、海賊の掃討に成功したのです。逆に言えば海賊の側でポンペイウスが攻めてくる情報を知っていれば、このポンペイウスの海賊掃討は成功しませんでした。いかに情報を得るということが海賊の成立の条件に重要であるかということが、ここでローマ時代の教訓として出てきます。
2. 海上技術力と情報収集力の要因―古代・中世の海賊―
紀元前から紀元4世紀にかけてローマは大帝国として栄えますが、何回か海賊がローマを苦しめます。