日本財団 図書館


したがって、目の前を通る船の貨物は全部奪ってしまう。小アジアと言いますから地中海の一番奥です。ギリシアの中央部ではスパルタだとかコリントとかの国が繁栄していて、ペルシアとこれらの国が対立しています。サモスはちょうど真ん中にあるものですから、ギリシャにとってもペルシャにとっても、サモス近海はさけて通れない。当時の北アフリカは穀倉地帯ですから、エジプトも大変栄えていました。

エーゲ海は多島海です。海賊船はエーゲ海中部にいますと、どちらの船も大変略奪しやすい。何でも獲ってしまう。しまいには「ここの領地は俺の領土だ」と、王様を名乗って、これを僭主と言いますが、要するに誰も認めないけれども自分は王だと言ってしまって、海賊王を名乗っています。

エジプトとは一応仲良くしていました。エーゲ海周辺のポリスとも仲良くしていました。ところが、自分が同盟を結んでいるところの船の物まで獲ってしまう。エジプトの王様が、同盟を結んでいる強国のスパルタヘ財宝を贈り物として送ろうとしました。その途中で、エジプトと同盟を結んでいるサモスの王様ポリュクラテスは、この同盟国の物まで奪ってしまう。

一度奪って物を返したほうが喜ばれるよという考え方ですから、返したかどうかは別にして、そういうかたちで財をなしたと言われています。大変な勢力を誇りましたが、最後にはギリシアの連合軍に撃たれて死ぬのですが、そういうかたちで地中海の大変著明な海賊だったと言う人もいました。

ここで注目すべきことは海賊の行為の段階が、初期の交易地での略奪から発展していることです。これらの力を持った人が、海域を支配するのです。

「ここを通る人間は、われわれに関税を払いなさい」

と言って一応、要求する。

「お前なんかに払う義務はないよ」

という者に対しては、略奪するというかたちです。

つまり、海域を支配するというかたちで第2段階の海賊行為が行われるようになるわけです。

これは日本でも見られるようです。

海域を恒常的に支配するほどの支配力がなかった時代では、拠点型という形で、各港で停泊船の虚を衝いたり、船員とグルになって、物品の横流しをやって、「海賊に奪われました」と申し立てるなどということが行われていました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION