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海をわたるII
1. 磁石の来た道
鉄などを引きつける鉱物は洋の東西を問わず紀元前から知られていましたが、方位を示す性質が知られたのはもっと後のことでした。東洋では10世紀の北宋(ほくそう)の頃にはいわゆる磁石が使用されていたといいます。その頃の東洋磁石は磁針を水に浮かせる水針式の物でした。中国では船用の磁石はもっと早くから使用されていたという説もあり、4世紀頃インドやアフリカ東海岸にやってきた晋の船に磁石がついていたということです。日本の記録で最初に磁石の名が見られるのは、続日本書記にある和銅(わどう)6年(713)近江(おうみ)の国から献上(けんじょう)されたという記述で、その後鎌倉時代に入ってから宗との交流が行われるようになって船磁石が到来したらしいと言われています。最初の頃は中国流の水針で、船が揺れると水がこぼれる不便さがあり、そこで磁針をピンで支える独特の和磁石:「乾式(磁針の中心を垂直支柱で支える方式)」が発明され、中国に逆輸入されるようになりました。この頃の西洋の物は磁針ではなく磁石のついた羅牌(らはい)(コンパスカード)を回転させる方式で、羅牌に記された方位は度数ではなく北東南西の間を8等分した32点で標示されており、また羅牌を水平に支持する装置もあり目盛りの数が多い点は和磁石より優れていました。江戸時代に測量師金沢清左衛門(かなざわせいざえもん)の発明によって考案された逆針(さかばり)は、とても便利なので船用にも使われていました。子(ね)の方角を船の舳先(へさき)に向けて置いておけば針の示す方向が船の針路になるというもので方位は十二支に従って、北(子(ね))、東(卯(う))、南(午(うま))、西(酉(とり))となります。後に24等分のものも使われました。南北線つまり経度線を子午(しご)線というのはこのためです。いずれも本体は木製で厚手の円盤状で、くりぬいた中央に磁針を置き、周囲に方位の目盛りを配置したものです。日本語で行われる操船号令の「おもかじ」と「とりかじ」も、この十二支によって生まれました。航海用としては逆針で、西を表わす右舷正横(うげんせいおう)が酉、東を表わす左舷(さげん)正横が卯であったので、右舷を酉の側・左舷を卯の側としました。舵柄(かじづか)を右へ取るときは「酉の舵」=「とりかじ」、左へ取る時は「卯面舵(うむかじ)」転じて「おもかじ」となったといわれています。