No.35/36
海をわたるI
1. 位置を知る
(1) 天文航法
古くからフェニキア、ギリシア、ローマ、エジプトの船は地中海沿岸から沖へ、大西洋へと航路を延ばしていきました。遠洋に出ればそこは見渡す限りの海で、見ることができる物はといえば、水平線と太陽と月と星だけですが、これらの天体の動きを知っていれば航海に役立てることができるのです。例えば、北極星という恒星(こうせい)は地球の地軸(ちじく)から約一度離れているのですが、地球から見れば常に北にあるといってもよいので、一度以内のばらつきは古代においては問題にするほどの値ではなく、誤差範囲内でありました。北半球にあって、北極へ近づけば北極星はだんだんと高度角になり、赤道へ近づけば低角度に見えます。北半球のある地点Aで北極星の仰角(ぎょうかく)α(アルファ)を六分儀(ろくぶんぎ)で測定すれば、この角度αが地球の緯度αと同じ値を示します。北極星までの距離は800光年もあるので、この距離から見れば地球は小さな点に過ぎず、地球上のどの点から見ても北極星は同じ方向にあるとしていいのです。太陽や月の運行についても古くから観測が行われ、経度はグリニッジを0度として東経西経が定められています。太陽は地球を一日で一周すると考えれば、それぞれの地点で太陽の正中(せいちゅう)(真南又は真北に来るとき)時刻(グリニッジ時刻)を測ればその地点の経度を算出することができます。古代ではグリニッジ時は存在しなかったので、それぞれの地域の時刻で計算したと思われますが、いずれの場合でも時計の精度が重要であることは事実です。時計に一分の誤差があると赤道上では15海里(経度で15秒)の誤差を生ずることになります。いずれにしても、天体を計測して船位を算出するのが天文航法の原理です。天文航法の短所として、天体が季節又は時間帯によって見えないことがあり、また曇天(どんてん)の日や海峡通過時などの水平線が見えないときは全く役に立たなくなるときがあるのですが、今日においても古代と同じ原理で天測が行われています。海上保安庁から発行されている天測暦には、太陽、月、惑星、主要な恒星の天体位置が時刻とともに掲載されています。時刻の基準は世界時を示しているクロノメーターで、この時刻と計測した天体の位置から経度が算出されます。2つ以上の天体を計測すれば精度が上がるので、1つの天体でもある時間をおいて二回、三回と測ればデータを多く得ることができます。近年になってGPSを使用した衛星航法が使われていても、計器の故障や漂流のことを考えれば、今日なお天文計測は航海に欠かすことのできない基本航法であり、観測に必要な六分儀は今でも船に積み込まれています。