石田梅岩の現代性
ですから、石田梅岩を永久に変わらない日本の伝統のイコン(聖像)として見るよりは、日本人や他の近代国家の人々が今日まで直面してきた様々な変化に対処しようとしてきた一人の人物として見るほうがずっと有益でしょう。十八世紀の京都では、金の力は今日にまさるとも劣らぬ明らかなものでした。そして石田梅岩が生きた商業社会では、すべてを利益の見地から考えようとする誘惑が明らかにありました。こうした社会の試練と苦難の真っ只中で、石田梅岩は最初に自分の道を見つけ、そしてそれを他の人々に教えはじめたのです。金銭に支配されている社会の中で人間はどのようにあるべきかという疑問は、今日生きている私たち誰もが直面している問題であり・梅岩はこの疑問の答えを探しました。
梅岩は商家に奉公し忙しい生活を送りながらも、店の女主人の支援を受けて、長い独学の道を歩んだ、と小山先生は書いています。梅岩が読んだ本の中には、神道・儒教、仏教、そして特に儒教の朱子学など、当時手に入ったすべての主要な伝統的な教えの本が含まれているようです。そして梅岩は最後に一人の師、小栗了雲と出会いました。小栗了雲は学問の面だけでなく、瞑想の実践においても梅岩を助けました。