最終的に梅岩は、その時代のすべての主な宗教や哲学の伝統の中を動き回り、それらを一つにまとめあげたわけです。
梅岩が人生において権威に対して率先してリスクを負うという意思を示していなかったとしても、梅岩の教えの内容は同じように非凡になったと言えます。
梅岩は権威に対して常に敬意を表し、決してそれに異を唱えませんでした。どんな階級であろうと個々の人間が尊厳をもっていること、そして精神的啓蒙と道徳的な徳を得る可能性があることを主張しました。徳川幕府の公式の考え方では、階級間には身分の大きな違いがあり、なんといっても武士がいちばん上でその次が農民、職人、そして商人はいくぶん低く見られていました。これこそがまさに梅岩が否定した点です。商人の道を擁護するうえで、梅岩は商人は社会全体に対して特別な責任をもっているとし、そして商人の活動が他のどの階級の活動とも同じく高貴なものだと教えたのです。つまり最終的には一つの道しかないと考えたのです。彼は以下のように書いています。