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そうした真面目で向学心に富んだ商人たちの集まりが、梅岩塾の中心をなして梅岩を助けてくれました。梅岩もその中から有能なすぐれた後継者を育成したのです。

梅岩の後を継いで、二代目の石門心学の盟主となったのが手島堵庵(とあん)でした。梅岩門下の最年少グループの一人でありましたが、後年教団を組織化して、天明・寛政期には五畿七道、五十九ヵ国、ほとんど日本全国に跨(またが)って普及する石門心学の基礎を築いたのであります。

 

心学の衰退と再発見

その後、明治維新を経て、近代化が促進されると、心学は古い封建道徳として批判されるようになり、次第に衰えていきます。

昭和四年、文部省に社会教育局ができたときに、初代の社会教育局長に就任された下村寿一という方が、昔の石門心学を何とかして掘り起こしたいとの念願をもたれ、文部省の力で全国規模の資料の収集を手掛けられました。その結果、膨大な資料が集められたのであります。

 

 

 

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