石門心学の誕生
小栗了雲の二年間の指導で大悟徹底の境地に達した梅岩は、ついに京都の車屋町通り御池上ル東側の地に講席を開きます。これがすなわち心学開講のときで、今から二百七十二年前の享保十四年(一七二九)、梅岩四十五歳のときのことでありました。
講義の条件は誠にユニークで簡単なものでした。「何月何日開講、席銭入り申さず候。無縁にても御望(おのぞみ)の方々(かたがた)は、遠慮無く御通り御聞成(おききな)さるべく候」というもので、まず無料であるということ。それから聴講希望の人なら誰でも差別しないということ。そのうえ、男女の席を区別して、女性にも講義を開放したのは当時としては画期的で誠に驚くべきものがあります。初めは物好きで集まった数人の聴衆だけでしたが、数年の間に梅岩を師と仰ぐ商人たちのお弟子さんグループができあがっていました。
この頃は、すでに元禄時代の経済成長の波が過ぎて、商人の中にも次第に社会的自覚をもった人が増えていました。