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神道から儒教へ

梅岩は生まれながらにして、敬虔な心の持ち主でした。それが日本古来の神道と結びついて、終生深い信仰心を培ったのであります。ですから、梅岩も初めは神道による布教伝導を思い立っております。『石田先生事蹟』には「はじめは神道をしたひ、志したまふは何とぞ神道を説弘(ときひろ)むべし。若聞人(もしきくひと)なくば、鈴を振り町々を廻りて成とも、人の人たる道を勧めたしと願ひ給へり」とあります。

梅岩の学んだ神道がどのような神道であったかははっきりしませんが、ともかく神道だけでは当時の世相に十分対応できるだけの倫理・道徳が打ち出せないという問題がありました。そこに梅岩の悩みもあり、儒教へと関心が向かった動機もありました。

それから後は、夜は人が寝静まってから行灯(あんどん)の下に書を播(ひもと)き、朝は人の起きないうちに二階の窓を開けて勉学し、また商いに出るにもいつも書物を懐中にして、少しの暇も惜しんで勉学に勤(いそ)しまれたのであります。かくして、独学ではありましたが、三十五、六歳の頃には、孟子の性善説、つまり人間性の問題について、相当、確固たる信念をもつまでになったのであります。

 

 

 

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