この話によってもわかるように、梅岩の父親は非常に厳格な方でありました。後になって梅岩は、当時のことを思い起こし、「あのときは子供心に父を恨めしく思って泣いたのであるが、しかし今思い返してみて、誠に父の厳格な教育が身に沁みてありがたい。自分は泣き泣き栗を返しに行ったが、それを見ていた父親はそれ以上に、どんなに辛く悲しかったことであろう。今になってそうした父親の心情を察することができるようになってわかることだが、厳しい親の教育ほどこの世にありがたく、尊いものはない」と述懐しています。
商家へ奉公に出る
梅岩の家は農家でしたが、次男坊である梅岩は二度ほど京都の商家に奉公に出ております。