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梅岩は一生妻帯しませんでしたので子孫はおりませんが、ご生家はお兄さんの子孫に守られて、現在も立派に存続しております。亀岡市ではご生家の敷地の一部を梅岩公園とし、そこに梅岩を祀(まつ)る建物や開道舎という石門心学の講舎を設けています。梅岩の命日の九月二十四日には、毎年、遺徳顕彰の事業を行っています。

石田家は武士の末裔で由緒ある家系でしたが、梅岩が生まれた当時はまったくの農民となっておりました。いわゆる中農の次男坊として生まれたのが梅岩であります。『石田先生事蹟』には、十歳頃の話として、次の有名な逸話が載せられています。

ある日の昼飯時のことでありました。梅岩(この当時は勘平)が山から栗の実を五つ六つ拾って帰ってきて、昼餉(ひるげ)の膳にのせました。と、それを見咎(みとが)めた父親が「勘平、その栗はどこで拾ってきたのか」と訊(き)きました。勘平が「隣の山と、家(うち)の山との境に落ちていたものです」と答えたのに対して、父親はキッパリと言い渡しました。「家の栗の木はあの辺りにはないはずだ。あそこはちょうど、隣の栗の枝が蔽(おお)いかかった場所ではないか。そこに落ちていたものであれば、定めしこれは隣の家のものに相違ない。その見境もなしに、自分の家のものでもない隣の栗を拾ってくるとは何事か。すみやかに落ちていた場所に戻してきなさい」と叱られて、昼飯の途中であるにもかかわらず、すぐさま返しにやらされたということであります。

 

 

 

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