実例として、私はこの前ルーマニア国営テレビを動かし、日本特集で四時間の大番組を立ち上げて、自らその番組に出まくったという、まことに非日本入的な態度で終始押し通してみました。その番組を見た現地ルーマニアの新聞記者が「日本人のイメージがまったく変わった。常に控えめで、時には冷たいというイメージの偏見があったが、われわれラテン人と何ら変わらないとわかって、本当に親しみが持てた」という大きな記事となった。
日本とその国のカルチャーをしっかりと対比して、違いがはっきり見えたら、自己演出してその国に飛び込めば「日本人も何とかなる」とつくづく思いました。
サム・ジェームソン 「AMF構想」についての日本の提案が、アメリカにつぶされました。日本は提案を出してからすぐに引っ込めたので、ほとんどそれを主張しないでやめたわけです。後になってAMF構想はいいアイデアだったという発言を現職の当局者から聞いたのですが、私もあまりにも引っ込みが早かったと思うのです。
日本人のアイデアは決して悪くないということについては、いくつか証拠があります。G7という考え方はだれが最初に提案したのか、ほとんどの皆さんはご存知ないかと思いますが、実はジスカールデスタン氏ではなくて橋本登美三郎氏なのです。一九七一年に、橋本氏がわれわれ外国特派員を集めて会見をした際、彼は「G5の首脳会談を毎年やるべきである」と提案をしたのです。