日本のアイデンティティについて、太田さんは二つ手がかり―「海洋国家」と「非西欧で最初に近代化した国」―を与えてくれたわけですが、これは、一つの同じことの両面という説明が可能だと思うのです。それはどういうことかというと、海というのは二つの相反する役割を果たすのです。一つは橋であり、道であって、外に国を開いてくれるのですが、役割が変わると、これは日本を外から遮断する溝になるわけです。日本というのは、戦国時代くらいまででもう中世が終わって、江戸時代は近世であり、明治以降は近代に入ってきたというのが一般的な歴史認識だと思うのですが、近世の日本というのは、海が日本を外から隔てるという鎖国の環境の中で日本的なものを発展させたわけです。逆に明治以降は、海を通じて世界と交流するということで近代化を進めてきたわけです。
ですから、その結果として、日本の近代化というのはその独自性を保ったものになったわけですが、このことを「超近代」のわれわれの抱えている状況に翻訳すると、「超近代」つまり二十一世紀の「海洋」というのは単なる物理的な意味の「海洋」だけではなくて、まさにインターネットに象徴されるような「情報時代の海」なわけです。多分、その情報というものを選択的に使うというところが、日本のこれまで二千年あるいは三千年の歩みの強みだったわけで、「開く」一方だと、ただ、外部世界に押し流されたり、同調したりすることで終わってしまうわけですが、日本人はスイッチを常に切りかえながら、必要なときは「シャット・アウト」して、独自の生き方を模索してきたわけです。