特に教育問題などを見ますと、“修身”の復活といったことを平然と口にする方もおられるので、中世への逆戻りは深刻です。
その一方で、日本の近代化は中途半端だったからいけなかった、ならばいっそのこと欧米化しよう、英語を日本の公用語にしようという動きもあるわけで、要するに欧米化せず近代化した日本への悲観論が今や否定論となり、底の浅い中世への先祖返りや欧米化を招いている気がしてなりません。本来なら和をもって尊しと為し、自然を愛し、家族を大切にする日本的な価値観と自立した個が対立し合う西欧的な価値観をアウフヘーベンして、「超近代国家」をつくりうる高いポテンシャルを有しているにもかかわらず、そうした優位性に対し、まったく無自覚であり、むしろコンプレックスさえ持っているのが日本人であると思うのです。
日本人自身が自覚していない優位性を核にして超近代化をめざすのは、大変難しいことだと思うのですが、ただその一方で"無自覚である"ということも日本の一つの特徴であり、ある意味で"強み"でもあると感じております。先ほどファジー、複雑系というお話がありましたが、日本あるいは日本人が自分自身はこういう存在であると突きつめて分析、追究せず、ビジョンや価値観を明確にしないからこそ、ファジー理論や複雑系といった考え方が可能なのであって、もし日本が自覚的に考えたり、行動するようになったら、その良さも同時に消えてしまうのではないかと危倶もしております。