つまり大切なのは、日本の国益の追求が他の多くの国々にとっても決して不利益にはならないようにすること、そのために日本は海洋国家としてより開かれていく必要があるということでしょう。まったくその通りで、そこにしか日本が生き残る道はない。
ただ、そのときにあわせて大切なのは「開かれたナショナリズムの追求」だと思うのですね。ナショナリズムの暴走を抑止するためにも、ナショナリズムの涵養は不可欠でしょう。日本の外交は朝貢外交であるとか謝罪外交、腰砕け外交などと言われますが、謝罪の強要が外交力ードとして通用し、日本もそれを唯々諾々と受け入れることが常態化している。こういう、普通の国にあるまじき特殊な外交態度を続けていると、必ず国民のフラストレーションは蓄積し、いつかそれは爆発する。そうならないようにするためにも、普通の国家の普通の国民としてのナショナリズムを涵養し、それに立脚した外交その他の国策を追求していかなければならない。開かれた国益の追求とは、すなわち開かれたナショナリズムの追求であり、それなしに海洋国家としての展望は拓けないと思います。
伊藤憲一(司会) 「西欧化にとどまらない近代化」というふうに遠藤さんはおっしゃったのですが、「近代化は良いことなのか、悪いことなのか」という観点を持ち込むと、それは特定の社会の発展段階に依存していることであって、中世的な時代において個人が非常に抑圧され、人権や民主主義が否定されていた発展段階では、そういう状態から抜け出して発展していくことが重要であり、それが近代化であり、そのプラスの価値であったと思うのです。