遠藤浩一 江畑さんから「西欧化でない近代化はあり得るのか」というご指摘がありましたが、私はむしろ「西欧化にとどまらない近代化」を追求すべき時期に来ていると痛感しているのです。近代化というものを西欧化と同一視してきたことの限界が、いろいろな分野で顕著になっている。今、どれだけの人が西欧社会の延長線上に世界像を描くことができるでしょうか。西欧化すれば世界中が幸福になれると信じているでしょうか。甚だ疑問です。いかにして「近代」を「西欧」という埒から解放させるか、それこそが今突き付けられている課題だと思われます。
そのときに、寛容性や自然との共生観といった日本的価値観が大きく寄与するのではないかというのが太田さんの議論ではなかったかと思います。私はこの見解に賛成です。最近科学技術の世界でも複雑系という概念が重視されるようになりました。ファジーやニューロ、ゆらぎといった、これまでの合理主義とは一線を画したコンセプトが科学技術の世界で最重要視されるようになったのは、まさに「近代化」が「西洋化」から脱却し始めたことの顕著なあらわれではないか。そういった洗練されたテクノロジーの現場で最も貢献しているのが、実は日本の産業界なのですね。ということは、われわれはすでに「西洋化にとどまらない近代化」の入口に入っているということです。
ところで、太田さんの言われた「開かれた国益の追求」こそが、この三期にわたるセミナーの中核的テーマだったと私は思っています。