繰り返しますが、ITは所詮道具でしかない。決して言葉尻をとらえるわけではないのですが、よく「IT革命への対応」と言われます。なぜ「IT革命の活用」と言わないのか。ITなりIT革命に対して受け身であらばこそ、無頓着に「対応」という言葉が口をついて出るのです。道具を前にして受け身に構えるというのはおかしなことです。金槌や鋸を前にして、「さあ、金槌にどう対応するか、鋸革命だ、遅れるな」と騒いでいるようなものです。肝腎なのは金槌や鋸を使って何を創るか、でしょう。サイバー戦争にも同じことが言えます。最近ようやくサイバー戦争やサイバーテロについて議論されるようになりましたが、そこに出てくるのも「対応」という語彙です。しかし逆に言うならばITを戦争やテロに利用する国や勢力があるからこそ、それへの「対応」が必要になってくる。日本は憲法上の制約があって抑止力として核はもとより、通常戦力も攻撃性のあるものはまかりならんということになっている。そういう日本にとってITを駆使したサイバー抑止力は大きな意味を持つのではないか。「対応」以上の積極的な取り組みが必要な筈です。
道具としてのテクノロジーの進化は、日本語の表現能力を格段に広げてきました。私は個人的には歴史的仮名遣いを用いるようにしているのですが、かつて現代仮名遣いを主張し制定した国語改良論者の論拠は、現代仮名遣いの方が実用的だというものでした。