とにかく、鉄砲以来、海から来る強力なプレッシャーというのを皆感じていたと思う。ペリーの来航でわかるように、黒船と言われる鉄鋼の技術格差がプレッシャーの主要な原因だった。日本の木工の技術水準は高く、これは正倉院以来で、日本の気候では木工というのが非常によく合っているが、木工ではエンジンがつくれない。そのため、薩英戦争ではアームストロング砲の砲撃にやられた。射程が倍ぐらい違うからやられてしまった。しかし、あのとき、敵の副司令官も戦死しており、その後イギリスがなぜ薩摩と手を組んだかという理由も、「なかなかやるね」という感じではなかったかと思われる。その結果、早速貿易を始める。貿易を通じて技術を修得していった。ちょうど太平洋戦争の後、アメリカと徹底的に貿易をやったようなことが、当時でも技術に関して起こった形跡がある。敵に瞬く間にやられたが、敵のそういう技術の進歩が逆に非常によくわかったので、鉄鋼を何とかしてつくり、鉄で武器をつくらなくてはいけないという一念発起が起きたのである。
このように、海から一連のものが入ってきたから、初めは「海陸軍」と言って「海」が中心だったが、明治五年ごろに「陸海軍」に変わった。結局、ドメインというのか、どこで活動するのかを考えると、例えば陸軍は陸で、海軍は海、空軍は空である。一方、アメリカには第四軍としてマリン(海兵隊)があるが、これは固定した自分の存在するところがないから、ドメインをセルフ・ディファインというか、常にディファインし直している。