そこは推測であるにしても、いずれにしても、鉄が精錬できて、鉄製の砲ですべての国家的な力関係が決まるということは、みんなわかっていたと思われる。
鉄に付随してもう一つは金(カネ)であろう。これは当時日本には唸るほどあった。石見銀山で世界の三分の一を産出したことさえある。中国は銀本位制で、ペルーのポトシ銀山と石見銀山が(石見の場合は博多の商人が開発して)中国大陸に供給していた。だから、倭寇も略奪のために攻めていったというよりも、銀を持っていたから何でも買えたのである。石見銀山の山奥に当時人口二十万の都会があって、景徳鎮の高価な磁器などを世界中から買っていた。日本は貧乏な国だというのは後の話であって、少なくとも戦国時代末の安土桃山時代においては、金(キン)をはじめとしてたくさん使っていた。それから、スティール(鋼)も非常に質がよかった。
明治維新後のいろいろな問題を考えるとき、このようにその前史を相当考え直すべきである。『海国兵談』は作者林子平の一七九一年の作だが、松平定信は『海国兵談』を世を惑わす不届きなやつだと処断し、版木まで取り上げた。しかし、四カ月後にロシアがやってきた。これこそ、まさに情報の欠如による権威の失墜の典型で、松平定信はその後二年ぐらいしか持たず、一七九三年には失脚したのである。