伊藤憲一(司会) 江畑さんから、何をもって海洋民族とするかという問題提起、それから、今、高瀬さんから、海の性質が「無制限自由」なものから「有限分割共有」、そういうものに変わってきているというお話があったのですが、過去の二年の議論、特に昨年度の議論の中で、「伝統的な狭い言葉の意味で海洋国家というような議論をすることはもう意味がないのではないか。もうこれだけ世界が狭くなり、科学技術、特に情報技術が世界を変えつつあるとき、海洋国家か大陸国家かなどという議論は意味がないのではないか。軍事面を見ても、もう陸軍、海軍、空軍という時代ではなくて、統合的に立体的に総合的に運用するという、そういう戦いの姿が何よりもそれをシンボライズしていないか」というような議論もなされたわけです。
それらのご指摘のすべてを受け入れて、なおかつ私が主催者としてずっと皆様にリマインドし、訴えつづけてきたのは、むしろ日本民族というか、日本国民の心の持ち方の問題でありまして、「内に閉じこもって、自分たちだけが―一国平和主義とか一国繁栄主義とか言われておりますが―そういう島国根性のままでいてよいのか。したがって、海洋国家というときは海に出ていくという即物的な意味ではなくて、世界に向かって開かれたサイコロジーと、それに基づくストラテジーを持つ必要があるのではないか。そういう意味をむしろ強く込めているのだ」ということを申し上げてきたわけであります。そのことを、もう一度リマインドさせていただければと思います。