海のカルタゴ対陸のローマ。三次に及ぶポエニ戦争はローマの勝利に終わり、カルタゴは、わずか五百年で歴史を閉じることになるわけですが、第一次、第二次ともローマはカルタゴの海軍力によって敗北を重ね、ことにハンニバルが活躍する第二次ポエニ戦争では、ローマは窮地に立たされます。その劣勢を挽回し、最終的に勝利を収めることができたのは、ローマがカルタゴの海軍力を徹底的に研究し、捕獲したカルタゴの軍船に多く学んで、陸から海へと軍事力を転換させたためでした。
カルタゴを打ち破ったローマは、地中海世界の覇権を握りますが、ローマが「大ローマ帝国」へと発展する道筋をつけたのも、海での戦いでした。アントニウスがエジプトのクレオパトラとともに、オクタヴィアヌスを敵に回して戦ったアクティムの戦いがそれです。シーザー暗殺後、オクタヴィアヌスはイタリア本土を、アントニウスは東の地方、いまのトルコ、シリアのあたりを中心に治めるということで、初めは仲良く統治していたのですが、最終的に皇帝の座を争うことになります。その決戦の場が海でした。
アントニウスとクレオパトラ連合軍の艦船は、オクタヴィアヌス軍よりはるかに巨大だったのですが、オクタヴィアヌスは、小型艦船の機動力をフルに利用することで、大勝を収めます。敗れたアントニウスとクレオパトラは自殺。ローマはオクタヴィアヌスを皇帝に戴いて、大ローマ帝国へと発展していくことになりました。となると、ローマを世界帝国に導いたのも、海戦、つまり海がローマの運命を決したと言えましょう。