そこで、こんどはそれを護衛する軍船が必要となってくる。いまで言えばシーレーンを確保するための軍事力です。その結果、カルタゴは強力な海軍を擁することになりました。
しかし、そうした貿易の“独占”を他の国が放っておくはずはありません。当然、ライバルが登場する。カルタゴのライバルは、同じく海洋民族だったギリシア人でした。ミノアの海洋文明を存分に取り入れたギリシア人の航海術や商才も、なかなかのものでした。「ギリシア人と握手したら、あとで指を数えろ」という当時の言葉が、それを証しています。両者がたがいに勢力を拡大していくうち、摩擦、やがて衝突が起きるのは当然の成り行きでした。その最初の紛争がシチリア島で始まります。
島の東部はギリシア、西部はカルタゴ、と初めは“棲み分け”ていたのですが、ギリシアがしだいに島の中央から西進する。そうまで進出されては黙過できない。そこで、カルタゴはついに軍事行動に出ます。そして、それがローマを呼び寄せることになる。かくして、カルタゴ対ギリシアは、カルタゴ対ローマという構図に塗り替えられ、ここに三次にわたるポエニ戦争が勃発するわけです。
もともとローマは海の民ではなく、彼らの目はもっぱら陸に向いていました。そこで彼らは歩兵軍団に力を入れ、それを最強のものにしたのです。