地中海をわがものにしたカルタゴは、しだいに勢力圏をひろげていきました。と言っても、他国の領土を侵略したわけではありません。海洋民族だったフェニキア、カルタゴ人は、領土というものにほとんど関心を持ちませんでした。彼らが必要としたのは、領有すれば統治するのに厄介な陸地ではなく、せいぜい交易に便宜を与える限られた中継基地だったのです。そこでカルタゴ人は地中海沿岸に多くの交易拠点をつくっていきました。フランスの都市マルセイユも、スペイン西端のカディスも、モロッコの首都ラバトも、みな彼らが設けた貿易基地でした。
こうして、カルタゴ人は、これらを足場にしつつ地中海からヘラクレスの柱(ジブラルタル)を抜け出し、アフリカ大陸を周航したり、北はブリタニア(イギリス)にまで商業圏を拡大していきました。カルタゴのハンノが五百櫂を備えた船六十隻の船団を率いてアフリカを一周した、とギリシアのヘロドトスはつたえています。それはエジプト第二十六王朝のファラオ、ネコスの依頼によるものだった、というのです。だとすれば、カルタゴ人は、紀元前六〇〇年前後に、早くもそのような“大航海”を行っていたことになります。
通商が活発になれば、それに見合う船団が不可欠であり、商品をたくさん積み込もうとすれば大型船が求められる。貴重な積み荷を満載したそのような商船は、あちこちに出没する海賊の格好の的になります。