かつてロシア革命後の一時期において「これからは国家や国民の時代ではない。労働者階級という階級が団結して世界の主人公になるのが歴史の必然だ」というメッセージが熱っぽく世界中に喧伝され、それが多くのひとびとを幻惑したときのことを想い出させられる。
日本という国家を麻痺させ、国民を解体させることが、本当にわれわれの取るべき道、進むべき道なのであろうか。それが一人一人の日本人を本当に幸せにする道なのであろうか。アメリカ人は、外に向かって口を開けば「民主主義と市場経済」を宣教師のように説いてやまないが、国内での仲間内の議論の殺し文句は「国益」である。中国人だって、ロシア人だって、「国益」が価値観の出発点であり、終着点であることには何の変わりもない。欧州連合に結集しているヨーロッパ人こそは違うだろうと思うと、それがそうではない。かれらは、ヨーロッパ人という新しいアイデンティティを手に入れることによって、アメリカや日本に対抗しようとしているのであって、世界に先駆けて無国籍の世界市民になろうとしているわけではない。
グローバリゼーションの浸透に対しては、自己のアイデンティティを確認し、その基盤のうえに立って対応するのでなければ、これに主体的に立ち向かい、取捨選択的に対応することは不可能である。それは隋唐に対して律令国家日本が、欧米に対して明治国家日本が対応したやり方であった。