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しかし法制度的には、漁業者が見ず知らずの人を捜索するために何日間も休漁し、出動しなければならない理由はない。どこの誰が、他人のために自らの仕事を何日間も休み、なおかつ燃費代まで自らの金を使ってまでして、親身になるだろうか。

普段シーマンシップ精神だ、海の男だと自負している近隣のマリーナのクラブ会員全員が、知り合いでもない人が遭難した時に、何日間も捜索に加わったという話は聞かない。

また自然のすばらしさや自然環境保護を訴えるダイバーが、漁業者相手に訴訟を起こした話や漁業者の人達から貰った話(精神的なものを含めて)は聞いても、与えた話は余り聞かない。

例えば遭難時の捜索についても海上保安庁と地元警察が行なってしかるべきである。しかし両者とも海岸を捜索するような小型艇は持っていないし、海岸域を管轄する警察官が船舶免許を持つように義務付けられているわけでもない。そうした点でのカバーや論議は、全くなされていない。

海上遭難時の経過や成り行きを見ると、漁業者は困った時の神頼み的な場面として体よく使われているように見える。海レク関係者や一般の遭難者は、無理を承知で出航したり、技術力がなかったりで、海に生活がかかっていないだけに反省を促したくなるような状況下にあることも事実である。

それらを充分認識しつつも漁業者がいつでも、どこでも、どのような時でも遭難救助に全面協力を惜しまないのは、海で代々生活をさせて貰っているという感謝の気持ち、前浜に育ててもらったという誇りや愛着の発露としてであって、決して法制度的な解釈で協力しているのではない。そうした気持ちのなかに、いきなり海レク関係者などから、法制度だけを持ち出されてきても、漁業者としては戸惑うばかりであろう。

そうしたこともあり、結果として海レク利用者と地域社会、漁業関係者とは必ずしも良好な関係とはいえない。いま海・沿岸域はいろいろな点で注目され、見直されており、さらに今後も活用の場は広がっていくばかりである。

海を巡る活用のあり方やモラルのあり方など、理論と現実を交えて論議され、実践されていくことが求められている。沿岸域の問題解決のためには、古い慣習があり、専門的な弁護士も少ないなかで、日本人の精神にあった解決の道もあるのではないだろうか。

これまで見てきたように海・漁村は、体験、自然学習などの貴重な経験や思い出を与える場、あるいは人間教育の場としてあらゆる点で格好なフィールドになる条件を持っている。加えて海や漁村、水産の持つ役割や効用を含めて、海における楽しみ方や漁村の生活習慣の良さなどを体験、理解させることが息の長い水産振興に繋がることになる。そこで新しい漁村振興計画として、そうしたことを漁村内部にも、外部にも広く普及啓発する必要がある。

そのため周囲での認知度や理解度が低く、それが色々な場面でトラブルの原因になっているケースが多い。そのことが、都会と漁村の人達との相互の誤解を取り除くことに繋がり、海での各種トラブルを解決させ、長じて海・沿岸域の総合的活性化につながる道となるのではないだろうか。

反省を込めて言えば、これまで漁村は新しい事業にチャレンジすることが少なく、時代のニーズを捉えることができず、職業としての魅力も薄れ、人材の流出など過疎化を招く原因となる多くの問題を抱えている。こうしたことは、漁業協同組合が全員の総意を必要とすること、あるいは漁業というものが、陸上から見えないため周囲の人達にはなかなか理解を得難いことなど、農業とは異なる一面が原因となっている。

また遊漁や潮干狩りなどにおいても、地域全体の振興や観光と結び合うことは少なく、個人またはグループの営業を漁協が認める代わりに、協力金的性格のものを徴収するという範囲で終始している。海洋レクの先進地である沖縄においてでさえも、漁業者はシーズンだけリゾート施設で雇われているか、ダイバー案内が多く、積極的に海を活用して、地域全体で係わりを持つために海洋レクに乗り出している漁協は1つ、2つある程度である。

 

 

 

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