Y丸の経過
Y丸(船長以下5名で運航)は平成8年7月2日12時30分、名古屋港を発し千葉港に向かった。
7月3日0時00分、Y丸船長は神子元島の北側海域に至って船橋当直を次席一航士に引き継いで降橋した。
00時50分、Y丸次席一航士は霧のため急に視界が悪くなったものの、1,2分で視界が回復したので船長に報告せず、1時00分、左舷船首5度、6.3浬のところにW号の灯火を初認し、同船との方位がほとんど変わらないまま4.6浬に接近した状況で、再び霧のために視程が500mに制限されたが、前回の霧と同様にすぐに視界が回復するものと思い船長に報告することを躊躇し、機関回転数を10回転下げただけでほぼ同一の速力で続航した。
1時12分頃、Y丸次席一航士は3浬レンジとしたレーダで右舷船首3度2浬にW号の映像を認め、同船と著しく接近することとなることを知ったが、もう少し接近してから避航措置をとっても大丈夫と思い、速力を減じることも、また、必要に応じて行き脚を止めることもなく続行した。
1時13分、Y丸次席一航士はさらに霧が濃くなって視程が100mとなったので、手動操舵として霧中信号を吹鳴したが、依然船長には報告せず3浬レンジとしたレーダを見ながら航行中、1時16分にW号が0.5浬に接近したとき、機関回転数を300に下げて右舵10度をとり、1時18分頃、さらに右舵15度とし、機関を全速力後進としたが間に合わず、稲取岬灯台から93度、8浬の地点においてW号と衝突した。
当時、天候は無風で霧のため視程は約100mで、付近には51度方向に3ノットの海潮流があった。
W号の経過
W号(船長以下13名で運航)は7月2日18時38分、京浜港横浜区を発し大阪港に向かった。
7月3日0時00分、W号船長は伊豆大島灯台北西5.8浬のところで三航士に当直を引き継いで降橋した。
W号三航士は、次第に霧模様となった状況下で操舵手を手動操舵に就けて航行し、1時00分、霧のため視程が100mに制限される状態となったが、霧中信号を行うことも安全な速力に減ずることもせずに続航した。
1時5分、6浬レンジとしたレーダで右舷船首12度、4.5浬のところにY丸の映像を探知し、レーダープロッティングを行っていたところ、1時12分頃、同船がほぼ同方位2浬になったことを認め、同船と著しく接近することを知ったが、もう少し様子を見ようと思い最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行き脚を止めることもなく引き続き全速力で続行した。