当時、天候は無風で霧により視程は50mに狭められ、潮候は下げ潮の初期で、衝突地点付近には微弱な南東流があった。
J号の経過
J号(船長以下21名で運航)はコンテナ333個を積載し、7月1日9時10分(現地標準時)釜山港を発し、京浜港に向かった。
7月3日6時00分(日本標準時)、船橋当直中のJ号一航士は剱埼灯台から209度9.4浬の地点において、霧のため視界が狭められたのでJ号船長にこのことを報告した。
J号船長は、報告を受けて直ちに昇橋し、J号一航士を操船の捕佐、甲板手を操舵に当たらせ、自らは操船の指揮に当たり霧中信号を始めたものの、安全な速力に減ずることなくレーダを監視しながら航行した(13.6ノット)。
6時40分、霧が濃くなり視程が約270mになった頃、レーダにより左舷船首49度、2.5浬のところにT丸を探知し、動静を監視していたところ浦賀水道航路に向かう同航船であったので同船の後方を追尾して航行すれば大丈夫と思い、その後、レーダによる動静監視を十分に行わないまま続航した。
6時56分、J号船長はT丸が左舷船首45度1,100mに接近することとなったが、依然レーダによる動静監視を十分に行わなかったことから、これに気付かず速力も減ずることなく、また、必要に応じて停止することもなく続行した。
6時58分、J号船長は、レーダにより左舷船首前方に反航船を探知し、これを避けるため5度右転したところ、左舷船首47度、700メートルのところでT丸の映像が右転していることに気付き、その後、同船の吹鳴する短音5同の汽笛を聞いたが、小角度で右転を続け、7時1分頃、左舷船首至近に迫ったT丸を初めて視認し、機関を半速力後進としたが及ばずT丸と衝突した。